Q&A

ワンネスを体験したら「デフレーミング」をすることは少なくなりますか?

Qワンネスを体験したら、質問の本質の授業の「デフレーミング」の質問をすることは少なくなりますか?

二元性の世界で、「デフレーミング」の質問を自分にしていくことはとても有意義なことだと思います。質問の本質→正反統合→ワンネス体感と進めることによって、ワンネスを体感した後、質問の本質をどのように活用されていらっしゃいますか?
「質問の本質」のノートを見返して、ふと思ったんですが、ワンネスを体験したら、もし他人から非難されようが、嫌な態度をとられようが、他人の表面的な言動をそのまま受け取ることはしなくなると思うので、「デフレーミング」の質問をするまでもないのでは?と。
ワンネスを体験したら、どういう時にどんな質問をするようになるのかな?と。

A
ワンネス体感後(ワンネスがある程度当たり前になってくると)ですが、
デフレーミングを使うことは少なくなることも、多くなることもあるだろうと思います。
ワンネスとして、見かけ上、二元を生きていく(生かされていく)過程で、デフレーミングすることも自然に起こっていきます。

しかしもワンネスを知っている(ワンネスと共にある)状態でデフレーミングを使うと、さらに有用になる、パワーを増すこともあります。

  • 二元に居ることすら無自覚なのか?
  • 二元に居ると自覚していても、囚われているのか?
  • 非二元を十分熟知し、体感もあり、非二元として生きているのか?

によって、意識の広がり方は「かなり違うだろう」、ということは想像しやすいと思います。

デフレーミングを使うにしても、どの大きさに居る意識が使うのか?によって意味が変わってきます。

ワンネスを体感するほどに(思い出すほどに)意識の変化は必ずあって例えば
ワンネス前に「デフレーミングしなきゃ」といった<力み>があった人が、

ワンネス後に<緩む>こともあるだろう、ということも想像しやすいでしょう。

おっしゃる通りで
「「デフレーミング」の質問をするまでもない」ケースは増えていきます。

これ自体喜びにもなるでしょうし、最終的に何も必要なくなりますが、
必要ないからこそ、自由にクリエイティブにデフレーミング、フレームシフトすることもまた喜びになり得ます。

ワンネスを思い出しても肉体、マインドが無くなるわけではないので、風邪をひいたら休むように、マインドが人間的な反応を示したらデフレーミングしてあげることも、また自然なことです。

しかしそのデフレーミングの効力は多分に増すということです。
引き続き、質問の本質、正反統合、ワンネス体感を相乗的に生かされてください。

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